補償/埋め合わせ 自分の望みに向かわないで代わりのことをする
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成功することで自己評価は高まる。
しかし自己評価が低い人は、なんだかんだ言って新しいことには挑戦しない。
失敗しそうなことはやらず、負けそうな勝負を避ける。
そして夢想や想像にふけって、仮想現実の世界に没入する。
ただしこれは現実逃避に過ぎず、心の傷を守るためだけの防衛機制だ。
夢想しても自己評価が低い人は、実際には何にもしないので、やっぱり自己評価は高まらない。
これでは対外的には何の役にも立たないから、別の方法で自己評価を維持しようとする。
その一つが「仮託(かたく)」で、もう一つが「補償(ほしょう/うめあわせ)」だ。
仮託とは、身内の成功を、自分の成功に数えることだ。
親や子や恋人や配偶者の成功を、自分の成功として数え、それで自己評価を高める。
一方、補償とは、自分のやりたいことをやったり、欲しいモノを得ようと努力する代わりに、比較的得意なことで埋め合わすことで、簡単に言うと、別の分野で頑張るということだ。
勉強ができないからスポーツで頑張ろうとか、人付き合いが苦手だから裏方で頑張ろうとか、こういうのが補償/埋め合わせだ。
ただし補償では、やりたいことをやったり、欲しいモノを得ることはできないため、自己評価は下がらなくても、一抹の不満足感は残る。
たとえば異性にモテたいだけなのに、異性と触れあうのが苦手だから、ダイエットや筋トレしたり勉学や仕事に励む。
その結果、痩せたり筋肉がついたり、良い大学に進学したり業績が上がったりするが、異性と触れあうことがうまくなるわけではないから、モテるようにはならない可能性が高い。
自己評価が上がったことで、積極性は増すかも知れないが、自分の欲求に真っ正面から挑んでいないため、自己評価は高くならない可能性が高い。
基本的に、逃げてるわけだからね。
自分の叶わなかったことを、子供に仮託する親
自己評価が低い人の中には、子供に自分の夢を仮託する人もいる。
たとえば学歴がないことで嫌な思いをしている親であれば、子供を難関大学に入れようとする。
そして子供の教育に積極的になるが、自分に経験もノウハウも無いため、何をやって良いのかわからない。
そこで受験ノウハウコレクターになり、子供の尻を叩くのに熱心になる。
学歴が欲しいのは自分であるのに、自分は勉強も受験もせずに、子供の尻を叩くという行動に出るのだ。
これが「仮託と補償」だ。
ただ残念ながら「やらされている勉強」では、学力も成績は伸びない。
というのも子供が悪い成績を取ると、こういう親は烈火のごとく怒るからだ。
また子供が充分良い成績を取ったとしても、親が入れたい学校のレベルが高すぎると、「これではダメだ」と子供を叱るからだ。
まともに受験勉強もしてない親だから、結果を出すのがどれくらい大変なのか、わかりもしないで物を言うのだ。
一方、子供の方は、親に怒られることで、子供自身の自己評価が下がってしまう。
自己評価が下がれば、やる気を失うため、勉強も嫌になって、成績も上がらない。
努力して結果を出しても、報われないわけだから、当たり前だ。
そして子供の成績が上がらなければ、親の自己評価も下がる。
というのも子供の成績に、自己評価を仮託しているため、子供の成績が上がらなければ、自分の評価も上がらないのだ。
仮託や補償と言った防衛機制は、心や自己評価を守るための方法であって、自己評価を高める方法ではない。