人気はあっても能力がないと、自己評価は不安定になる
更新日:
自己評価は、高ければ良いというわけではない。
自己評価が高くても、バランスが悪ければ不安定になる。
たとえば周囲からチヤホヤされれば、自己愛評価は高くなる。
しかし勉強や仕事ができないと、責任ある仕事は任せてもらえないし、重要な会議には参加させてもらえない。
というのも自己愛評価だけ高い人は、責任感に乏しく、理解力もないからだ。
責任ある仕事を任せてもらっても、まともにそれを成し遂げることができない。
そのため、その尻ぬぐいのために、余分な人手やコストがかかってしまう。
また重要な会議に参加しても、内容が理解出来なかったり、何が重要なのかも分からなかったりする。
そのため、漏らしてはならないような重要機密も、ペラペラと社内外に漏らしてしまったりする。
人から愛されたりチヤホヤされると、自己評価が上がるので、人から尋ねられると、それに応えてしまうのだ。
なのでいくら自己愛評価が高くても、仕事は任せてもらえないし、重要な会議には参加させてもらえない。
そのため、いくらチヤホヤされていても、自己評価は上がったり下がったりで不安定になる。
一方、逆に勉強や仕事ができても、人気がないという場合もある。
客観的な能力があっても、人から愛されないタイプだ。
こういうタイプの人も、自己評価は高いが、非常に不安定になってしまう。
仕事ができても、愛されないなら、自己評価は不安定になる。
能力があっても他人から好かれない。
こういう人も自己評価が不安定になる。
勉強や仕事の能力があるので、責任ある仕事を任せてもらえたり、重要な会議にも呼ばれる。
しかしそれ以上の「人間としての」つきあいはないため、やはり不安定な状態に陥ってしまう。
仕事ができるから、職場では大事にされるけれど、家に帰ればひとりぼっちだったり、家族からは冷たくされていたりする。
そのため自己評価は上がったり下がったり、非常に不安定な状態になってしまう。
職場では仕事ができるから雇ってもらえるし、お金を稼いでくるから結婚もできているが、人間として大事にしてもらえていないため、「頑張ってるのに、この仕打ちはなんだ」と怒ったり、落ち込んだりするわけだ。
そして仕事は大してできないのに家族に恵まれ、楽しそうな人生を送っているヤツを見ると、俺はこんなに頑張って他人の役に立っているのに、なんでこんなに寂しいのか怒りがこみ上げてくる。
しかし責任感や仕事の能力はあっても、自己愛を高める方法は知らないので、下がった自己評価を上げるために、また得意な仕事に打ち込んだりする。
そして自己評価が仕事の成果や給料の多寡で決まってしまうため、仕事で失敗するのが怖くなり、ストレスになることもあるらしい。
人に好かれるためには自分の失敗や欠点も、さらけ出した方が良いのだけれど、仕事の評価=自己評価だから、失敗は恥で、完璧に仕事をしようとする。
その結果、さらに愛想がなくなって、自己評価がさらに不安定になったりする。