自分を否定する社会のルールを破ることが自分の価値
更新日:
人間を知るためのパーソナリティ障害研究。
3つ目は、反社会性パーソナリティ障害だ。
反社会性PsDというのは、他人を一切信じないというタイプで、良心の呵責が無く暴力や犯罪を繰り返す連中だ。
彼らは法律やタブーを犯すことに強さを感じるらしく、残酷に他人を裏切ったり出来ることを「強さ」と感じて、それが出来ないのは「弱い」と思っているらしい。
発症割合はウィキペディアの演技性PsDの記述では、9割が女性の演技性PsDに対して、反社会性PsDは、9割が男性となっている。
一方、パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するかでは、男性の約3%、女性の約1%となっていて、ちょっと様子が違うね。
さて反社会性PsDの人間にとって他人は、「自分のために奉仕させる存在」である。
これは自己愛性PsDとも共通するように思うが、自己愛性PsDの場合は、自分が偉いというふうに装って、周囲の者を自分のために働かせようとする。
一方、反社会性PsDの場合は、ウソやだまし討ちも平気で、暴力も当たり前のように使うところが異なる。
たとえば純情でカモになりやすい女性に近づいていき、女性を自分のために働かせて自分は遊ぶタイプだ。
口先では「信じている、愛している」と言いつつ、全て女性をだますためのウソだったりするらしい。
女性をだまして自分のために働かせるのも、社会通念から言うとひどいことだから、彼らはそれをやるわけだ。
常に危険な状況に身を置くことで生きていると感じる
反社会性パーソナリティ障害とは、人をだましたり法を犯すことで、自分の価値を感じるタイプらしい。
父親や教師や周囲の者によって、強烈に自己否定されて育ったタイプに多いと考えられている。
つまり物心ついてからずっと否定され続けたため、自分を否定するルールを破ることによって、自分の存在を確かめようとするらしい。
それが「社会への復讐」として正当化され、犯罪的行為などに及ぶ。
なので彼らはただ暴れるような単細胞ではなく、他人を挑発して怒らせてたり、ウソや演技で人をだますという「知的」な事もするわけだ。
反社会性PsDの人間は、子供の頃からすでに手がつけられない場合もあるし、青年期から突然、手がつけられなくなることもあるという。
しかし彼らは危険に対して不安を覚えず、自分から危険の中に入ることで生きていると感じるので、十分にスリルを味わったり本当の恐怖に出会うと、多少なりとも態度が変わるらしい。
たとえば手がつけられないような札付きの不良青年が、ボクシングや格闘技などで更正することがあるのは、彼らが求めるスリルがそこに存在し満足するからということだろう。
常に危険の中に身を置くことを求めるので、試合のある武道や格闘技、とび職のような危険を伴う仕事や趣味をもつことで、いくぶん改善される。
あるいは心底恐ろしいモノに出会うことによって、自分を守るという意識が芽生えるのかも知れない。
ほかにも子供が出来たことがキッカケで足を洗おうと考える者もいるし、身近な人間の死によって無常感を感じ、中年以降に改善することがあるそうだ。
反社会性PsDの人間に対処するには、否定すると敵として認識されるので、相手を否定せずに、マイペースで接する必要がある。
挑発されても「何かあったのか?」「どうした?」と心配して尋ね続けるのが重要だということだ。